広桃用水の歴史
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広桃用水のあゆみと歴史

広桃用水の創設は、応永から天文の昔と言われています。当時の利根川は、赤城山の裾野と前橋台地の間を乱流していましたが、応永年間(1394~1427)と、天文8年(1539)、同12年(1543)に大氾濫を起こしました。
この天文年間の2度の氾濫で完全に現在の市街地西部を流下するようになったと言われています。
この流路変遷によって出現した氾濫原を耕地とするため、勢多郡北橘村大字真壁(現渋川市北橋町)に桃木堰、同所下流の南橋村大字関根(現前橋市関根町)に広瀬堰を設け取水したのが始まりです。
この両は、時領主が主に管理していましたが、慶長6年(1601)酒井河内守重忠が厩橋城主となってからは、その城主が管理し、維持管理は領民の夫役により松平大和守の時代まで続きました。
その後明治4年の廃藩置県の際、事業は勢多郡、佐位郡、那波郡の関係町村に引き継がれ、明治15年本改良区の前身である広瀬桃木両堰水利土功会が設立され、普通水利組合を経て、昭和27年に広瀬桃木両用水土地改良区に組織変更しました。
やがてこのように広瀬、桃木両川とも永い歴史の中で築き守られてきた用水路であるため、かんがい用水だけでなく生活用水、発電、製糸等の工業用水と、幅広く利用され、地域農業の外に経済や文化に重要な役割を果たしてきました。
こうして、堰の維持管理には長年にわたって多大な労力と経費が費やされてきましたが、昭和42年に建設された東京電力佐久発電所放水路より直接取水する画期的な方法により、安定した確実な取水が可能となり現在に至っています。

Our Evolution 取入施設の変遷

坂東大堰合口事業

改修前

坂東大堰合口取入口の状況

取入口前面のスクリーンに流木・礫が詰まり、用水はかろうじてスクリーンの破損部分から流入している状況であり用水不足の主要因となっていた。

改修前

広桃用水隧道の堆砂状況

取入口より石礫が流入堆積し、制水門扉が石礫を嚙み完全閉鎖が出来ないため、隧道内の浚渫もままならず径10cm内外の石礫が1.20m~1.30m位堆積していた。

改修後

分水施設の分水部

右の隧道は分水調整弁が設置されている農業専用水路で、左の隧道は鋼製ストップが設置されている電気大正共用水路である。

改修後

分水扉(分水調整弁)

この分水扉は佐久発電所の不規則な流量の変動にも応じられるように、水車のガイドベーン型式の扉2枚を観音開きにする構造で、農業用水の確保と発電の効率的な運転を図るための扉で、広桃用水・天狗岩用水側に設置されている。

分水施設設計図

昭和初期の取入口

広桃用水制水門

左が橘山、正面制水門、同下流桃ノ木川、右の石張り水路は広瀬川。制水門は丸太材で枠組し、取水孔の上は側面を板張りとし、その中に重し石を詰めて制水門の浮上、流失を防止した。また門扉に直結して、あくたよけ(除塵)、その前方に丸太材を打ち流木等の流入を阻止した。

広瀬用水制水門

正面制水門、後方片石山、右は余水吐で利根川に放流している。制水門扉の構造は殆んど広桃用水制水門と同じである。

災害復旧の状況

昭和10年災害直後の
応急工事

坂東橋下流の大きな牛枠は工事用仮〆切、その手前が建出し牛枠、続いて土砂・蛇籠等による瀬割堤兼用導水路護岸で、これら施設の外側が利根本流である。

昭和13年災害による
広瀬桃木頭首工復旧工事

こ中央が広瀬桃木導水路、前方が制水閘、左が橘山、右が利根本流で木工沈床を施工中である。

広瀬桃木頭首工復旧

完成した導水路護岸で上流部が建出し牛枠下流部が木工沈床で施工され、これら施設の向こう側が広桃用水導水路で、同水路から利根本流に余水が溢流している。

カスリン台風による
頭首工の被害状況

頭首工は制水閘および導水護岸からなり、昭和22年のカスリン台風など連年の風水害により、その大半が決壊した。今でも一部原形のまま残されている。

応急工事による
広桃両堰取入施設

災害により用水の取り入れが不可能となったため坂東大堰合口が完成するまで、牛枠・土砂等で導水し暫定的に取水していた。

十六本堰の改修工事完成

役員一同、通水を見守る。
手前水路は広瀬川。

Office Then and Now 事務所の今昔

大正初期の広瀬桃木両堰普通水利組合事務所(左側寄棟造り)

大正初期の広瀬桃木両堰
普通水利
組合事務所
(左側寄棟造り)

右側は会議室兼詰所。
勢多郡北橘村大字下箱田632-1

昭和25年当時の広瀬桃木両堰普通水利組合事務所

昭和25年当時の広瀬桃木両堰
普通水利組合事務所

付近には空地も多く野菜などが作られていた。
前橋市岩神町59番地 現前橋市昭和町1-2-7-1

昭和27年7月、組織変更により広瀬桃木両用水土地改良区となる

昭和27年7月、組織変更により
広瀬桃木両用水土地改良区となる

同年12月、事務所北側に2階建の新会議室が
完成した。

平成3年8月完成した、広瀬桃木両用水土地改良区事務所

平成3年8月完成した、
広瀬桃木両用水
土地改良区事務所